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声業界伝説のマネージャー極細木(ごくぼそき)スガ子。酸いも甘いも噛みわけたその経験で、誰も言えなかったことを、今宵も〈きっぱり〉と斬っていく。「事務所の深い落とし穴編」「堕ちたマネージャーたち編」などプロ必見の連載。
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この物語はトッププロたちの華やかなデビューストーリーではありません。
あなたの身近にいる、ナレーターになりたい人達がプロになっていく過程のささやかなお話。
新人ナレーターたちが初めての仕事をつなげていけた瞬間の”小さな奇跡”を綴った実録インタビューです。
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第3話 暗記マシーンが自由になるとき(ナレーター わいわいさん)
2010年3月11日 ナレーターメルマガ135号より転載

あろうことか雪深き山奥で、都会育ちのわいわいさんの活動が始まった。
しかも年々、仕事が広がっていく順風満帆のスタート。
”目指してる”からプロに「進化できた」その瞬間って、何があったんだろう?
この物語はトッププロたちの華やかなデビューストーリーではありません。あなたの身近にいる、ナレーターになりたい人達がプロになっていく過程のささやかなお話。初めての仕事”小さな奇跡”を綴った実録インタビューです。
ナレーターとして生きていく
新人ナレーター「わいわい」さん。だいたいおおまかに40歳。司会の仕事を続けながらナレーターとして活動している。長く目指していたナレーターへの道が見えてきた。小さな仕事を集めてだが、なんとか生活は出来ている。
ふわっとした気分で大抜擢
OL を辞めた後、何となくやってみようと思った司会の仕事。ビジネスセミナーなどの司会をこじんまりと始めた。そんなある日。家の隣の靴屋さんが、山奥放送局のプロデューサーを紹介してくれるということに。その靴屋さんは、セミナー司会と番組司会の区別がついていなかったのだ。ところが、なぜだかオーディションに合格。なんと番組キャスターの座を射止めてしまったのだ!あろうことか雪深き山奥で、都会育ちのわいわいさんの活動が始まった。しかも年々、仕事が広がっていく順風満帆のスタート。
暗記マシーンが自由になるとき
仕事が広がっていった理由の一つには、わいわいさんの記憶力があった。どんなに長い原稿でも短期間に暗記できることだった。仕事が広がるに連れ、暗記量は膨大になっていく。だがスタッフたちは陰でわいわいさんのことを『暗記マシーン』と揶揄していた。表現することより暗記力を問われていたのだった。彼女の中で、仕事の広がりと共にむなしさも広がっていった。
「たまたまナレーションの仕事をやったんですよ。そうしたら表現できるって楽しいなって感じたんです。ナレーションだと自由になれるんです!その頃から積極的にナレーションをやりたい、ナレーターになりたいって思ったんです」
唐突な幕切れ
山奥放送局でのわいわいさんの活躍。それを影になり日なたになり支えてくれたのは、彼女を抜擢してくれたプロデューサーだった。そんな彼は、局内での派閥抗争に巻き込まれていた。番組作りの裏側で、血で血を洗う戦い。なにも知らないわいわいさんは、ある日新任のディレクターに告げられる。
『来月でわいわいさん終了ですから』
何年も続いた番組から降ろされた。抜擢してくれたプロデューサーが失脚し、唐突に退職したのだった。スタッフたちも急によそよそしくなった。
「ここには私の居場所はもうなくなったんだ」涙を流す間もなかった。
遠い遠いかすかなツテを頼って、別のローカル局に連絡をした。
「ナ、ナレーターをやりたいんですけど」
『アナウンサーの募集はもう締め切ってます』
「いえ、だからアナウンサーではなくナレーターなんですけど…」
「(受話器を押さえて)局長~変な電話きてるんですけど~」
雪国の長いトンネルを抜けたら雪国だった…
なぜだか北の大地放送局での仕事が決まった。しかしそれはレポーターの仕事だった。その地方ではナレーター単体での仕事などなかったのだ。
「猛吹雪の中でのレポートの仕事があったんです。吹雪で目があけてられなくて、目をあけたらカメラが見えないんです。遠くの方でわいわいさん逃げて~って声がして。車が来ていて、スタッフが先に退避していたんですね。もう~東京に帰りたいって思いました(笑)」
このままでは永遠にナレーターになれないのではないか。そんな不安におそわれる。その年、彼女はスクールバーズとスタジオバーズの門をたたいた。
悔し涙を流しながらの戦い
いまのナレーションや営業を学び、サンプルを作りまくった。それからわいわいさんの、ナレーターとして生きるための戦い=営業が始まる。
ところが、いままでの経歴を投げ打っての挑戦に周囲は冷たかった。
『アナウンサーのまねごとをしている、ただのミーハーおばさん』
『地方を追い出された可哀想な人』
ある時はCMに決めるからと、ディレクターに抱きつかれたこともある。
それは悔し涙を流しながらの戦いだった。
「そんなどん底の時期に、スタジオでのカウンセリングで自分の甘さを指摘されて、ずいぶんへこみました」
でも今となっては一番信頼している
昨年から生活のベースとなっていた、司会やレポーターの仕事を自ら大幅に減らした。ナレーションの仕事を優先するためだ。皆が仕事を減らす、この不況のもとでは大胆な決断だった。
「全体としては少し減りましたが、ナレーションは新規も含めてじわじわ増えているんです。そしてこれからは、もっと広がる手応えも感じるんです。北の大地放送局でもようやくナレーションで呼ばれ始めましたし。山奥放送局の元プロデューサーも制作会社を立ち上げ、仕事を一緒に出来ました」
「カウンセリングでずいぶんへこんだ後、『いままでが順調すぎたんだ』って自分で受け入れることが出来ると言われていることが全部、ふに落ちてきたんです。スタジオ”バーズ”のことを今となっては一番信頼しているんです」
そして6度目のスタジオでのサンプル創り。その情熱を聞いたベルベットの武信マネージャーがCMにキャスティングした。そして決まった。
「初めての全国オンエアーなんです。ホントに感謝です。続けてきてよかった」
雪深いところを巡った長い旅。そこでの経験は、吹雪に敢然と立ち向かう覚悟を、与えてくれたのかも知れない。自由を目指すわいわいさんの旅はいまも続いている。
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